Ⅳ-3. 「宋版傷寒論」と『注解傷寒論』

こんにちは!のぐち(@drtwitting1)です☆

前回は『金匱玉函経』について概説させていただきました。今回は『傷寒論』には大別して2つの種類があるという話をしてゆこうと思います。

 

1 前回までのおさらい

Ⅳ-1.張仲景医書概説①のおさらいになりますが、『傷寒論』は張仲景の傷寒治療を収録した書として1065年に北宋政府により刊行されました。この際、一文字が十円玉大くらいに大きく印刷されたので「大字本」と呼ばれます。「大字本」は高価で一般には普及しにくく、1088年に勅命で小型の「小字本」が刊行されました。

しかし、「大字本」「小字本」の宋版傷寒論は現在伝わっておりません。

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傷寒論金匱要略

 え?よく「宋版傷寒論にはこうある」って感じで引用されたりするのを見かけるけど…宋版は伝わってないの?

 うん、一般に「宋版傷寒論」と呼んでいるのは明代の趙開美という人が刊行した傷寒論で、つまりは明版なんだ。ではなんでこれを宋版傷寒論と呼んでいるのか、その辺をこれから解説してゆくよ。

 2 成無己『注解傷寒論』系

金の成無己*1という人が『傷寒論』の各条文に注釈をつけ『注解傷寒論』を著しました。このとき底本に用いた『傷寒論』は北宋政府が刊行した『傷寒論』(大字本もしくは小字本)に直接または間接的に拠っていると考えられます。

 成無己の注釈は『素問』『針経(現霊枢)』『金匱要略』『難経』『本草』『脈経』『玉函』『千金』などの引用を含み、もはや古注といった趣すらあり、広く受け入れられたようです。金~明後半までは『傷寒論』といえば『注解傷寒論』を指すほどに影響を与えました。

 3 趙開美「宋版傷寒論」系

 明の趙開美が1599年に「仲景全書」の中で翻刻「宋版傷寒論」を校刊しました。「仲景全書」は『傷寒論』『注解傷寒論』『傷寒類証』『金匱要略』の四書からなる叢書です。

趙開美は当時ですら非常に希少であった「宋版傷寒論」を得て、成無己『注解傷寒論』との字句の違いが多いことを知り、宋版の善本であることに気づきこれを校刻して「仲景全書」に編入しました*2

ただし趙開美が入手したという宋版は現存しておりませんし、版式などを忠実に模刻したわけではなさそうです。それでも現伝する『傷寒論』の系統で最も宋版の旧態をうかがい知ることができる善本であることにかわりありません。そういった理由で、成無己の『注解傷寒論』に対して、こちらの趙開美本『傷寒論』を「宋版傷寒論」と一般に呼んでいるわけです。

4 『注解傷寒論』と「宋版傷寒論」の違い

注釈の付加のほか、本文にもかなりの字句の変動や省略などが『注解傷寒論』に見られます。大きいところでは『傷寒論』は三陰三陽病篇と可不可篇に分けられますが、可不可篇条文の多くが三陰三陽の各篇に重複しているため、それらを省いてかなり簡略化されています*3

字句の違いは多くは成無己の恣意的な所改によると思われます。しかし「宋版傷寒論」として用いられている趙開美本『傷寒論』も完全な宋版の複製ではないため、『注解傷寒論』も時には参考にする必要があります。

いずれにせよこの両者のタイプがかなり違うために

と便宜的に分類して呼んでいるわけです。

5 まとめ

一般に『傷寒論』といったときに、大きく「宋版傷寒論」と『注解傷寒論』の系統があるということを頭の片隅に置いていただければ幸いに存じます。

そして「宋版傷寒論」といっても本当の宋版は現在に伝わっておらず、明の趙開美が翻刻した『傷寒論』を指しています。これは成無己の『注解傷寒論』と区別し、宋版の旧態をうかがい知ることができる版本という意味でそう呼んでいるわけです。

最後に『宋版傷寒論』と『注解傷寒論』の利用できる版本(影印本)をまとめておきます。

6 利用できる版本について

宋版傷寒論(趙開美本『傷寒論 』)

『善本翻刻 傷寒論金匱要略』、日本東洋医学会、2009年、5月

現状、最善本。

『明・趙開美本『傷寒論』』、燎原書店、1988年、10月

最近の研究で正規版の趙開美本ではないと判明した*4が、テキストとして使うのにはほぼ問題ないといったら怒られるだろうか・・・

ただし「傷寒論後序」が所収されておらず、その点で注意が必要。

傷寒論―明趙開美本

傷寒論―明趙開美本

 
 『翻刻宋版傷寒論』、自然と科学社、1991

 安政3(1856)年堀川済が内閣文庫蔵の趙開美本『傷寒論』(つまり前掲の燎原書店本と同じ)を影刻した版本。やはり「傷寒論後序」が所収されておらず、その点で注意が必要。近年、銭超塵が詳細に研究しています*5

翻刻宋版傷寒論

翻刻宋版傷寒論

 

 『注解傷寒論』(成本傷寒論

元初刊本『注解傷寒論』(北京大学図書館蔵)

李盛鐸が1921年に入手した書という。李盛鐸の題記によると『注解傷寒論』の初版である金刻本の特徴とよく相同するという*6。現在影印本などは出版されていないので利用するのは残念ながら困難。

『注解傷寒論』、『和刻漢籍医書集成』第16輯所収、エンタプライズ、1992年3月

多紀家所蔵の元版(実は明版?)を底本とし、多紀元堅の代に躋寿館で天保6年(1835)に模刻したもの。矢数道明氏所蔵本を影印出版したもので、現状利用できる『注解傷寒論』で最善と考えられる*7

 

*1:セイムキ。成無已(セイムイ)とする説もあるが「己無し」の意で無己とするのが適切か。真柳誠・小曽戸洋「漢方古典文献解説・25-金代の医薬書(その1)」『現代東洋医学』10巻3号101-107頁、1989年7月

*2:仲景全書序より

*3:小曽戸洋「『傷寒論』『金匱玉函経』解題」、『元鄧珍本 金匱要略』171~195頁、東京・燎原書店(1988)

*4:真柳誠「目でみる漢方史料館(223)『宋板傷寒論』(その5)」、『漢方の臨床』54巻3号398-400頁、2007年3月

*5:銭超塵『影印日本安政傷寒論考証』、学苑出版社、2015年2月

*6:銭超塵『《傷寒論》文献通考』、北京科学技術出版社、2018年8月

*7:真柳誠「『注解傷寒論』解題」『和刻漢籍医書集成』第16輯所収、エンタプライズ、1992年3月