Ⅱ-1. 漢方の古典にはどういったものがあるの?

最終更新日 2018/09/18

こんにちは!のぐち(@drtwitting1)です☆

臨床で漢方を実践している、しようとしている方は少なからず「古典」を読む機会があると思います。漢方を専門に扱っていなくても『傷寒論』『金匱要略』くらいは聞いたことがあるという方も多いと思います。 

傷寒論』とか『素問』とか名前は知っているけど、どういう内容で、どう臨床に関係してくるのかわからないッス

 漢方の古典は書名から内容が想像できなくて難しい感じがします。今回はざっと漢方の古典にはどういったものがあるのかをまとめていきたいと思います☆

*書名は『 』で記載していきます。

【目次】

 

 『学生のための漢方医学テキスト』の記載

医学生をターゲットに編集された『学生のための漢方医学テキスト』(2007年、南江堂)には

1 古代中国の医書-三大古典として

2 現代までの医書として

  • 唐代:『千金方』『外台秘要方』など
  • 宋代:『太平聖恵方』『聖剤総録』『和剤局方』
  • 金元代:金元四大家の登場
  • 明代:『本草綱目』『万病回春』

などが挙げられています(上掲書、2-3頁)。

学生のための漢方医学テキスト

学生のための漢方医学テキスト

 

 

上掲書では個々についてもおおまかに内容を解説してあり、入門しては2ページで簡潔にまとめられていて完璧です。
この記事では先人の言葉も紹介しながら上掲書が「三大古典」としている『黄帝内経』、『神農本草経』、『傷寒論』と『金匱要略』についてもう少し解説していきます!

 艮山先生遺教解』の古典観

 後藤艮山(1659-1733)は、江戸時代に活躍した儒医(儒学+医者)で古方派のさきがけとされています。著作を残さない主義でしたが、門人たちが艮山の教えや処方などを記しています。艮山の教えに門人が解説を加えたものが『艮山先生遺教解』(京都大学富士川文庫蔵、コードID RB00002555)で、短い文章ですが現代に漢方を学ぶ私たちにも参考になる古典観が示されているので引用します。

① 凡そ医を知らんと欲する者は先ず庖羲の羲皇に起こり、菜穀の神農に出るを察し、法を霊素八十一難の正語に取り、其の空論雑説及び文義の通じ難き者を捨て、
② 漢唐の張機・葛洪・巣元方・孫思邈・王燾等の書を渉猟し、
③ 宋明諸家の陰陽旺相、府蔵分配区々の弁に惑わず、百病は一気の留滞に生ずることを識らば則ち思い半ばに過ぎん

 む、無理です、読めませ~ん。

わしも久しぶりに読んでみたらキツかったぞい。原文は訓点すらない漢文で、訓読してみただけありがたいと思ってくれ💦(こんなに漢文読めないのに古典の解説しようというこの無謀ぶりよ)
この文章で面白いのは「医学を学ぶのなら中国医学発展の歴史(神話を含む)順に勉強せい」と言っていることなんだ。①②③と文章を区切ってあるから少し荒っぽく現代語訳して順番に解説していくよ。

 ① 古代中国神話に仮託した古典たち

① 凡そ医を知らんと欲する者は先ず庖羲の羲皇に起こり、菜穀の神農に出るを察し、法を霊素八十一難の正語に取り、其の空論雑説及び文義の通じ難き者を捨て
 
現代語訳:医学を学ぼうとするなら、まず陰陽を説明した伏羲にはじまり、薬物学は神農にはじまっていることを理解しなさい。つぎに自然界・人体の法則は、黄帝が著したとされる『素問』『霊枢』『八十一難経』の正しい説を採用して、空論や意味の分からない説は捨てて理解し

 ここでは中国古代神話に登場する3人の人物、伏羲(庖羲)、神農、黄帝が登場します。

中国古代神話の特徴は、「文をもって化す(文化)」すなわち学問や文化で混沌とした世界に秩序をもたらすこと、といえるかもしれん。

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 まず伏羲は文字などさまざまな文化をつくった存在として語られていて、易の八卦を発明したとされています。易というと占いのイメージが強いですが、同時に中国伝統思想における自然哲学の根源でもあります。

陰陽を3つ合わせたものが(2×2×2)八卦で、伝説では伏羲の発明となっています。易は2進法の世界で八卦を2つ重ねて(2の6乗)六十四卦と発展し、今日まで『周易』として伝わっています。そしてこの『周易』は儒学の「六経(6つの最重要経典)」の最上位におかれています。艮山が医学を学ぶ上で伏羲の名を挙げるのはこのためです。

 

易経〈上〉 (岩波文庫)

易経〈上〉 (岩波文庫)

 

 

『神農本草経』

 次に神農は頭部は牛、身体は人の姿で、人々に農耕や医療を教えたとされています。自らたくさんの植物を嘗めて味や薬効、毒性を調べ人々に伝えたという伝説があります。

この神農に仮託した古典が『神農本草経』で、365種の薬物を薬効や毒性により「上品(120種)」「中品(120種)」「下品(125種)」に分類して記載しています。「本草」という言葉から植物のみと考えてしまいがちですが、大学で習った生薬学と同じく植物・動物・鉱物まで「本草」では扱います。

明代の李時珍(1518-1593)があらわした本草学の集大成『本草綱目』にはなんと人間の魂までも記載されているんだ!

おおざっぱにいえば個々の薬物についての薬効や味などについて記載されているのが「本草書」で、その元祖が『神農本草経』ということになります。

 

OD>近世漢方医学書集成 53 神農本草経

OD>近世漢方医学書集成 53 神農本草経

 

 

『素問』『霊枢』『八十一難経』(黄帝医籍)

最後に黄帝は三皇のあとに中国を統治した五帝の最初の帝で、臣下であり師である岐伯に医術を学んだとされています。この黄帝にまつわる古典が『漢書』芸文志にある『黄帝内経』です。現在はこの『黄帝内経』という形では残っておらず、『素問』『霊枢』『(八十一)難経』『太素』『甲乙経』などが伝わっています。これらは「内経系医書」とか「黄帝医籍」という分類で表現されることが多いです。歴史的には『黄帝内経』=『素問』+『霊枢』として語られてきました。

 

黄帝医籍研究

黄帝医籍研究

 

 

内容は春秋戦国時代以来の医学論を綴り合せた形で、『素問』には生理・病理などの基礎医学が、『霊枢』には針灸・治療などの内容が論じられています。また『難経』は81の問答という形式で針灸・医学理論が論じられています。

まとめ

 ここで挙げた古典たちは古代中国神話に仮託されていますが、例えば『神農本草経』の著者は神農、ではないことに注意してほしい。おそらく実際は多くの人々がそれなりの期間をかけてこれらの古典が成立しているはずです。そして伏羲、神農、黄帝という伝説人物は古典の内容を表すシンボルとして語られることがあります。

①では艮山は「医学を学ぶには、まず陰陽を理解して、次に個々の薬物の薬効などが記載された本草学、そして医学論を『素問』『霊枢』『難経』などの黄帝医籍で学んでほしい」と言っているのだと解釈できます。

 

② 漢~唐代の古典—主に医方書—

② 漢唐の張機・葛洪・巣元方・孫思邈・王燾等の書を渉猟し
 
現代語訳:漢~唐代の張機(張仲景)の『傷寒論』『金匱要略』、葛洪の『肘後方』、巣元方の『諸病源候論』、孫思邈の『千金方』『千金翼方』、王燾の『外台秘要』などを読み漁り
 漢~唐代の古典になり、だいぶ臨床的、実践的内容の書籍たちが登場しました。

傷寒論』『金匱要略』は聞いたことあるけど、あとのは知らないや…

傷寒論』と『金匱要略』はともに張仲景が著したとされる書籍で、『傷寒論』は「傷寒」という急性熱性感染症の病態と治療が記されています(かつては「傷寒」は腸チフスと言われていたが現在では新型インフルエンザやSARSなどのウイルス感染症ではないかと言われています)。病態の分類が特徴的で、太陽病・陽明病・少陽病・太陰病・少陰病・厥陰病という六つの病期に分けています。『金匱要略』は「雑病」つまり慢性病などの治療法が記されています。

前述した本草書は個々の薬物の薬効が記載されていますが、『傷寒論』などでは複数の薬物を組み合わせて(処方して)治療しています。ここではこういった処方(レシピ)を記載している医書を「医方書」と呼ぶことにします。「処方集」といってもいいかもしれない。

②のパートの古典では巣元方『諸病源候論』以外は「医方書」だね、具体的な処方が載っているよ。『諸病源候論』は病名を挙げて症状を記載し病気の原因を論じているよ。それから「傷寒」の治療を述べた『傷寒論』以外は現代の医学みたいに病名別に編集されているから、比較的読みやすいかもしれないね。

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  (上図 絶版だがベスト)

まとめ 

②では艮山は「漢~唐代の張仲景『傷寒論』『金匱要略』、葛洪『肘後方』、巣元方『諸病源候論』、孫思邈『千金方』『千金翼方』、王燾『外台秘要』などを読み漁り」と言っているのだと解釈できます。もちろん歴史順に述べているのだけれど、特に張仲景『傷寒論』『金匱要略』は重視していると私は考えています。

③ 宋~金・元~明代の医書

③ 宋明諸家の陰陽旺相、府蔵分配区々の弁に惑わず、百病は一気の留滞に生ずることを識らば則ち思い半ばに過ぎん
 
現代語訳:宋~金・元~明代の諸家の陰陽五行論、臓腑配当の理論に惑わされず、すべての病は一元気のとどこおりによって起こることを知れば、医学を学ぼうとする志は半分以上達成されたも同然だ。

宋以後の医書からはあまり学ばなくてよいってこと?江戸時代の人からみたら、金・元・明代の医書には最近の医学が載ってるはずなのになんで?

 う~ん、ここが後藤艮山という儒医が古方派のさきがけといわれる所以なんだよね。金元四大家のうち李東垣と朱丹渓は日本でも多大な影響があったし、明代の『万病回春』という医方書はベストセラーだったんだ。でも艮山は具体的な治療法や処方は参考にするけれど、金・元に発達した陰陽五行論や臓腑配当の理論は採らなかったのだと僕は思う。実は「なんで古典は尊重するのに最近の医学は採り入れないの?」という問いはこのブログのテーマの一つになっていくと思っているので、また別の記事でお答えできればと思っています。

 宋代には朱子学や天文など現在の科学技術に相当する分野が一気に進んで、医学も金・元で理論化が進みました。しかし艮山をはじめとする古方派は「なぜ効いたか?この薬がこの経脈に入ってこの臓器に効いたからだ」というような目にみえない理論は捨てて、目にみえる現象だけを追って「この病気にはこの薬が効いた、効かなかった」という事実に基づいて医療をしようと考えました。医学より医術、学者というより職人というイメージです。

(小声で)実は日本人は古方派に限らず理論より実学を重んじる傾向があるのかもしれん…
そして「文をもって化す(文化)」学問や文化で混沌とした世界に秩序をもたらすという中国古来よりの思考様式との違いがまた面白い…

 まとめ:漢方の古典にはどういったものがあるの?

ざっくりまとめるとこんな感じになる、現代の薬学部の講義で何に相当するか例えも入れてみました。

 

著者 書名 ジャンル 後世への展開 現代の薬学部の講義でいうと…
伏羲 (仮託) 周易 易=中国伝統思想における自然哲学の根源 儒学の経典として 数学、物理学
神農(仮託) 『神農本草経』 個々の薬物の薬効・味など 『証類本草』、『本草綱目』、博物学 薬理学、生薬学
黄帝(仮託) 『素問』『霊枢』 医学論、生理・病理、針灸 後世の中国医学理論の発展に貢献 解剖生理学、生化学
張仲景 傷寒論』『金匱要略 医方書・処方集 その後の医方書・処方集へ 臨床薬学

 

なんとなく薬学部で学ぶ順序と後藤艮山『遺教』の古典の順序が一致している!面白い!

艮山は中国医学の歴史順に古典を並べたのだが、同時に理論科目から応用科目への順でもあるのじゃな!

薬学部において数学や物理学は一般教養レベルであれば良いように、江戸時代の「儒医」たちにとおては儒学的に重要だったかもしれませんが漢方を学ぶ上では『周易』はさわりだけおさえておけば十分だと思います。そうすると最初に挙げた『学生のための漢方医学テキスト』に、『黄帝内経』、『神農本草経』、『傷寒論』と『金匱要略』が「三大古典」として挙げられている意味がよく分かると思います。

☆今回の記事はここまで☆

なんとなく漢方古典のジャンルが分かる、知らない医書でもどのジャンルにカテゴライズできるか考えられるようになってもらえたら幸いです。

最後まで読んでくださってありがとうございました!お時間を使って読んでくださったことに心から感謝申し上げます!あとがきはコチラ