Ⅲ-3. 証類本草① 『神農本草』~『集注本草』陶弘景の本草校定まで
こんにちは!のぐち(@drtwitting1)です☆
この記事では、前回の続きとして証類本草を実際に見てゆきたいと思います。
前回(Ⅲ-2 )、証類本草には『大観本草』と『政和本草』という2種類が現存して利用できると解説しました。今回はどちらを見ていただいてもよいのですが、『政和本草』を例にとって見てゆきます。
今回は陶弘景(452-536年)が校定した『神農本草経集注(集注本草)』までを見てゆきます☆
神農本草 四巻
『政和本草』で大字白字文で記載された箇所が『神農本草』部分です。
『神農本草』は1-2世紀に成立したと考えられており、その特徴は以下の通りです。
①上薬120種、中薬120種、下薬125種の365種の薬物を収載する。上薬は無毒で長期服用が可能な不老延年の薬、中薬は有毒・無毒の性質があり病を治したり体を補ったりする薬、下薬は有毒で長期服用が不可な治療薬といった分類である。今回の麻黄は中薬に分類されます。
②薬には君臣佐使の別がある。一君二臣三佐五使といった配合がよい。
③七情の概念がある。七情とは単行・相須・相使・相反・相悪・相殺・相畏からなる薬物の相互作用。
④五味の概念がある。五味とは酸・苦・甘・辛・鹹からなる味の概念。薬物の品質鑑別という要素もあるが、味がそれぞれ性格・作用を象徴すると認識されていた。
⑤熱・温・平・涼・寒などの人体を暖めるか冷やすかの観点がある。これは中国伝統医学の特徴と一般に言われているが、『ギリシャ本草』などにも類似の概念がある。
名医別録 三巻
『政和本草』で大字黒字文で記載された箇所が『名医別録』部分です。
『名医別録』はおそらく3-4世紀に成立したと考えられています。『名医別録』には薬効・処方だけでなく産地など多様な内容が記されていました。しかし陶弘景の本草校定ではその要点のみを採用していると思われ、すべての文章が現在の『証類本草』に残っているわけではなさそうです。
陶弘景以降では、唐代の『新修本草』や『海薬本草』に『名医別録』の引用が見られ、唐代ごろまでは伝存していたことが分かります。
陶弘景は『神農本草』から365種、『名医別録』から365種を採り、計730種の薬物を『集注本草』に収載しました。しかし『神農本草』収載品に『名医別録』文がもれなくついていることから、少なくとも『名医別録』には730種以上の薬物が収載されていたことになります。
雷公薬対 二巻
『政和本草』で大字文のあとに細字双行で書かれた最初の部分(陶隠居云の前まで)が『雷公薬対』部分です。この書は謎が多いです。
『雷公薬対』は七情(単行・相須・相使・相反・相悪・相殺・相畏)からなる薬物の相互作用が書かれた内容の書物だったようです。雷公は黄帝の臣下であり伝説上の人物です。
後に徐之才(492-572年)がやはり七情の内容を記した『薬対』を著わしましたが、該当部分の『薬対』は陶弘景(452-536年)が参照できた内容なので、徐之才以前の『薬対』であったことは間違いありません。しかし李時珍(1518-1593年)の『本草綱目』ではこの箇所を徐之才『薬対』と誤認して「之才」としていますので、『本草綱目』を利用する際は注意が必要です。
徐之才以前の『雷公薬対』と徐之才『薬対』の関係については、
・徐之才がそれ以前からあった『雷公薬対』を増補したという説*1*2
の2つがあり、さらなる研究が期待されます*5。
神農本草経集注 七巻
陶弘景(452-536年)がこれまでの『神農本草』や『名医別録』などを参照して校定したもので、『集注本草』などと呼ばれます。校定の概略は以下の通り。
・『神農本草』365種の薬物をすべて収載
・『名医別録』から『神農本草』になかった薬物を365種追加。
・『神農本草』の文章は朱字、『名医別録』の文書は黒字の大字で書いた。(前回記事参照)*6
・玉石、草木、虫獣、果実や穀物などと分類して収載した。
・『薬対』文と陶弘景の注釈は細字双行で記した。
後世の本草はこの陶弘景による校定本草を基準として増補を繰り返してゆきます。
『政和本草』では「陶隠居云」から「唐本注」の手前までが陶弘景の注釈文となります。